誰かのために

誰かの為に生きること

とても

聞こえがいい

自分の為に生きる

という言葉より

とても耳障りがよい

日本人は

特にここに美徳を

感じてる

そこにいるだけで

笑顔の連鎖を生むことが

できる赤ちゃん

言葉なんて

いらなかった

条件などなかった

でも

今はどうか

こうしなきゃ

あーしなきゃな

条件まみれ

それはなんでだろうか?

わたしたちは

いつの間にか

我慢をおぼえてしまった

自分が我慢をすることで

自分が犠牲になることで

相手がしあわせになるなら。。。

そんな経験が

積み重なって

知らぬ間に

自分をすり減らしてたことに

もう気づかなくなる

だから

そのうち

【誰かの為】が

【誰かのせい】に

なっていく

親のせい

子供のせい

旦那のせい

時間のせい

仕事のせい

そんなひとは

いつも

言葉で

それがしあわせだと

言い聞かせてる

でもね

ごまかすのは

もうおしまい

だって

そこにいるだけで

いーんだから

我慢することなんて

いらないんだから

あなたの

だいじなひとが

あなたに望んでいるのは

あなたが

しあわせそうに

そこにいてくれること

我慢が

自分を傷つけてる

目覚ましで

起きることだって

からだのリズムを

崩してる

言いたいことを

言わなかっただけでも

こころは傷ついてる

わたしたちは

傷だらけ

1日の終わりに

ちゃんと振り返る時間を

つくること

これが嫌だったよね

こんな我慢をしたよね

そうやって

自分にしか気づけない場所に

気づいてあげる時間を

つくる

これが

からだとこころの力を

取り戻してくれる

自らから

溢れ出したエネルギーで

周りさえも満たしていく

そんな

自分に戻ってゆく

今日いい気分で

寝れたら

明日もきっと

いい気分

明日の自分は

今日の自分に

かかってる

ここちよい

思考の習慣化


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